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【シグマ思想】鼎 梯仁【総和思想】 [転載禁止]©2ch.net

1 :考える名無しさん:2015/10/02(金) 01:09:37.99 0
哲学板の皆さま

はじめまして、かもめ党の鼎 梯仁(かなえ はしひと)です。
ニュー速+板、ビジネスニュース+板ではいつもお世話になっております。

この度は「シグマ思想」についてちゃんと説明しろというご要望に対応する形でこのスレを建てさせて頂きました。
(哲学板ですので「文明主義政党・かもめ党」については捕捉程度に止めたいです。)

また、併せてこのスレでシグマ思想に対する皆さんの意見も伺いたい所存です。
不束者ではございますが、どうぞお手柔らかにご指導のほどお願い致します。

★シグマ思想とは
日本古来の「和の精神」という漠然とした概念について明確な「世界観」として回答したものとお考えください。

 

624 :考える名無しさん:2016/04/14(木) 22:29:51.87 0
>>610-611の説明があまりイケてないのかも知れませんね。
学校の先生にも分り易い先生と分りにくい先生がおられますから。


by 鼎 梯仁

625 :考える名無しさん:2016/04/14(木) 22:33:04.22 0
そうだよ
だからお前は人に頼る前に自分がまず精進しろってことだ
じゃなきゃお前の所による価値がない

626 :考える名無しさん:2016/04/14(木) 22:50:35.04 0
それは別に構わないのですね。
私は己の信念に純粋であればそれで良く、他人の支持を必要とはしていません。

シグマ思想の信徒というのはそういったものではないかと思います。

少し前に>>565で私の性格診断結果を公開していますが、
【ENTP型 - 討論者】という分類らしく、この性格のものは自分への反対者を好意的に見るところがあるそうです。
同じ事柄に賛成したり反対したりして実験することを好むらしいのでたしかにそうですね。
ですので、反発、反感を受けても「そういう観点もあるのか」「その観点も貰っておこう」という性格なのでしょうね。
大抵の人は観点を一つしか持ちたがらないのですけど、私は同時に何個も目を出すことが出来るタイプなのです。
(皆さんの周囲にも「彼の発言は立ち位置が良く分らない」という感じの人がいるでしょう。実は分身の術を使っているためそうなるのです。)

例えば、富士山一つとっても見る方角によって全然見え方が違いますよね。
様々な富士山の表情があります。
全て見てから判断したいのです。物事を舐め回すように見るタイプですので、
どうしても人から上から目線に見える欠点はあるかも知れませんが、
それは主観を様々なところに設置できる人の特徴なので我慢して頂くしかないです。

主観がないと誤解されがちですが、主観が強いからこそこういうことが出来るのです。

by 鼎 梯仁

627 :考える名無しさん:2016/04/14(木) 22:57:12.62 0
やはり、良く出来た物事、仕組みというのはあらゆる目線から見て素晴らしいです。
王様目線、乞食目線、庶民目線、学者目線・・・どの方角から見ても美しい。

図形で例えるならどの方角から見ても同じに見える球体でしょうか。

様々な目線から見て、それらの人々が共通して欲しているもの。
これを単純明快シンプリシティにまとめたものがシグマ思想であり、ザ・ダイアグラムなのです。

先程、茶碗に喩えた方がおられましたが、茶碗が無ければ飯は食えないのです。
そういう意味ではこう喩えられた方のシグマ思想評はけして間違っていないと賛成したわけです。

by 鼎 梯仁

628 :考える名無しさん:2016/04/14(木) 23:06:18.73 0
反対したつもりが逆に賛成されてしまい、面食らっておられることでしょうが、
理屈としては筋が通っているかと思います。

また、そうした人間だからこそシグマ世界の境地を開いたという点では、
もう少し尊敬されても良いのかも知れませんが、
私は褒められることが嫌いなタイプですので(すでに私自身が知っている観点に賛同されても益がない)
予めお断りさせて頂きたいと思います。

ストレートに損得勘定の部分で他人から褒められたところで、
私が新たに手に入れたいと思っているものが手に入らないというわけです。

ですので、私を賞賛したところで「なんだよ、折角褒めたのにリアクション薄いな・・・」
と不機嫌にさせられること間違いないのです。
何も得して無いのに「ありがとう!」とリアクションするのも面倒臭いです。

by 鼎 梯仁

629 :考える名無しさん:2016/04/14(木) 23:51:14.88 0
いやっまたく
筋が通っていないから長ったらしく書いて話すり替えてるだけかなと
中身のなさがかえって強調されたよ

630 :考える名無しさん:2016/04/15(金) 00:13:44.53 0
一体、何と比べて「中身がない」と批判されているのか分りませんが、
それは逆に言えば「全てが詰まっている」という意味ですので、
私はその批評に対してとくに否定したり反論する理由がないのです。

今はまだ未知の領域まで含め、英知の全てが詰まっているのがシグマ世界であるという認識は冒頭でも述べておりますので、
少し話題がループしてる気がしないでも無いですが・・・

by 鼎 梯仁

631 :考える名無しさん:2016/04/15(金) 01:47:05.25 0
中身がないがなんで逆に詰まっているになるのか意味が分かりません・・・
そういった返しからして中身がないわけでして

632 :考える名無しさん:2016/04/15(金) 20:17:51.65 0
>>631
では、貴方が仰る「中身」とは一体何でしょうか?
宗教やイデオロギー、学問の教義のようなものでしょうか?

そういったものはシグマ思想本体では扱っておりません。

強いて言うなら信徒たちが綴る「福音書のようなもの」には
近いニュアンスのことが書かれるのかも知れませんが。

貴方の表現を拝借するなら茶碗屋に来て牛丼を注文するようなものです。
それは貴方自身がご自分の口で仰ったことでは無いでしょうか?

何だかジーザスクライスト・スーパースターでのイエスの裁判シーンのようになって来ましたね。
私もいずれ火病を起こした群衆に「お前が本物のメシアであるならこの水をワインに変えて見せろ!!」
などと無茶振りされるのでしょうか?

しかし、私は「それは可能である」とお答えしましょう。
ブドウの種を植え、その水を撒けば良いのです。
やがてブドウが実り実際にその水はワインに化けることでしょう。

by 鼎 梯仁

633 :考える名無しさん:2016/04/16(土) 16:10:19.43 0
◎ネット社会の「正義」とは何か 集合知と新しい民主主義 西垣通 ISBN:4344981588

何気にペラペラめくって見たが最初の掴みが良い、これは結構面白そうだね。
まだ読んでないけど◎を付けておこう。
しかし、1800円は高いな。

634 :考える名無しさん:2016/04/17(日) 01:47:45.86 0
しかし、ワザとやってるか知らんが貴様は徹底的に俺を全否定するんだなw

商業高校はクソだと?

いや、それに関しては至極賛成だ。商業は廃止すべきと主張しているw
情報は工業でやれば良いだろう。
簿記、ソロバン、情報、プログラミング、経済、むろん数ABは無い。
まったく体系的になっていない、頭の中が纏まらない繋がらない。カリキュラムの組み方が変だw
商科大に進学、MBA?…んなものネーヨ。大学に行くにしては足りないものがいっぱい大杉る
独学で普通科 or 理系カリキュラムを一から学び直しだ。つまり、道が途絶えている地雷だっつーのw

放大学長コンピュータ岡部先生が簿記の本を書いているが、或る意味それは教育者としての反省文だろうw
んで、どう反論せいちゅーねんw

635 :考える名無しさん:2016/04/19(火) 20:34:04.29 0
論破しようという動機で反論しようとするアプローチがいけないのだと思いますね。
やるべき主張は「お前は間違っている」ではなく「俺はこう思う」なのです。

そもそも私は曲がりなりにもシグマ思想の開祖なのですから、
高名な学者の先生が反論したところで“吸収”されて終了なのです。

シグマ世界では反論されたら反論で返すのではなく吸収した方が賢明なのですね。
「○○は正しい」「××は間違っている」といったやり取り自体があまり無意味と言いますか。

そもそもシグマ世界では「意見を一致される」ということにまず価値が有りませんし、
むしろ人々はそれぞれ異なるからこそ存在価値があるという認識が支配的です。

「心は一つだが意見はそれぞれにある」というのがシグマ世界の特色なのだろうなと思いますね。
そういった世界ですので誰かと意見が異なることを恐れる必要もないのです。

あなたがあなたの考えを持っていることと同じように、人々もそれぞれの考えを持っている。
それは「主観」と言い換えることも出来るでしょう。
主観など最初から共有できるものでは無いですし、そういったものを「統一しよう!一致させよう!」などと考えることこそ愚かなのです。
そのような考えをもつ動機はおそらく盲目的自己保身感情なのでしょうけど、
少し考えれば馬鹿な考えだと気付くレベルの話だと思います。

by 鼎 梯仁

636 :考える名無しさん:2016/04/19(火) 20:47:34.45 0
だいたい、例えば私に対して反論する人というのは
私がその意見を“吸収”することを最も望んでいるわけですから、
「参りました」「降参です」と論破されることより「分りました、吸収します」と対応した方が
その意見の発言者が期待するところに応えていると私は思うのです。

もっとも、その吸収の程度が物足りないとかそういった不満はあるのかも知れませんが。

如何でしょうか?

by 鼎 梯仁

637 :考える名無しさん:2016/04/25(月) 08:04:31.90 0
>>636
わかっているなら精進しなさい
と、>>625でもそう言ってる訳ですが
以下ループ

できが悪い子を指導するのは疲れる

638 :考える名無しさん:2016/05/06(金) 20:06:27.00 0
保守です


by 鼎 梯仁

639 :考える名無しさん:2016/05/06(金) 22:03:47.20 0
いまどき保守なんだ?

640 :考える名無しさん:2016/05/09(月) 08:57:43.05 0
保守 鼎梯仁

641 :考える名無しさん:2016/05/09(月) 16:36:56.33 0
私の見た範囲だと、シグマ思想における価値観と世界観の関係はイスラム教における神と諸々の人間、もしくは相対主義における相対主義と諸文化、もしくは帝国における帝国と多様な人々の関係に近しいと思えます。
なお、なぜわざわざこれらを例としたかと言えば趣味ですとしか答えようがないです。
ともあれ、謂わば絶対的なものと、絶対的なものの絶対性に依存して許される様々な個物たちの関係といったところでしょうか。
この様なシステムならば、如何なる特殊な個物であってもある一つの世界観のもとに包含する事ができるでしょう。
しかし、これに対して一つ批判を引っ張ってみるとすれば、これらの思想は全く了解不可能な物がある可能性を考慮していない、という事をあげても良いだろうと解します。
そもそも、価値観のレベルではなく世界観のレベルで絶望的に断絶している可能性を考慮していないということです。
この様な絶望的に断絶しているものの一例として、例えばジェームズ・ジョイスのフィネガンズ・ウェイクという本を挙げても良いと思います。
なぜジェームズ・ジョイスかと言えば単なる趣味ですので気にしないでください。
フィネガンズ・ウェイクは、莫大な言葉遊びを導入した極めて難解、というよりそも読解という思想を導入することそのものがナンセンスな本です。
このフィネガンズ・ウェイクを、果たして同一の世界観に包含することができるでしょうか。答えは、当然YESです。包含は可能です。
しかし、包含してしまえばフィネガンズ・ウェイクは壊れてしまいます。さらに言うなら、包含する言葉は極めてナンセンスになるでしょう。
それでは、失われるものが大きすぎるやもしれません。これは、そんなお話なのです。

642 :考える名無しさん:2016/05/12(木) 00:18:17.57 0
>>641
イスラム教をよく知らないためピンと来ないのですが、オススメの書籍などはございますでしょうか?
例によってKindle化されているものだと有難いです。

by 鼎 梯仁

643 :考える名無しさん:2016/05/12(木) 02:07:56.29 0
モスク行って語らえよ
日本にだってあるんだよ
お前が愚図な所はそういったところだ

644 :考える名無しさん:2016/05/12(木) 03:10:32.69 0
>>643
>>611で説明したとおり私の中で宗教や学問は「ドラえもんの秘密道具」のような位置付けですので、
それらのコンテンツは“和道協会推薦図書”といった体裁で整理されていることが望ましいかなと考えているのです。

Amazonのレビューでも良いのですが折角こうした場もございますので、
和道協会正会員の皆さんの意見も伺いたいなと。

もちろん、イスラム教の触りぐらいは存じ上げているつもりなのですが
あまり興味が湧かなかったと言いますか。
(ゾロアスター教やマーニー教にはとても魅かれたので何冊か本も読んだのですが)

私が興味を憶えなかったということは概要を読む限りでは、
イスラム教はかなり極端な信仰派の思想という側面が強いのかも知れないです。

シグマ思想がどちらであるかは定かではございませんが、
私自身はご覧のとおりかなり認識派に傾いた思想の持ち主ですからね。

ご存知のとおりシグマ思想にはザ・ダイアグラムしか規定されておらず、
その用法にまでは言及されていませんのでシグマ思想(ザ・ダイアグラム)の信奉者には
認識派の方もいれば信仰派の方もおられるのだろうなと想像しています。

ザ・ダイアグラムはブラックホールにもホワイトホールにも成り得るように思えますし、
それに何を期待するかは人其々、ある意味、万能の願望器であると見なすことも出来ます。
そこに何を映そうとその人の勝手だと言いますか。

私自身は>>611で説明したとおり、大抵のケースでは、
情報(混沌)から知識(秩序)を抽出するためにシグマ思想(ザ・ダイアグラム)を活用しています。
その抽出した知識を宗教や学問に当て嵌めつつ最終的な己の行為、表現とする。それによってまた情報(混沌)が生まれる。
そういったサイクルを実現する原動機としてザ・ダイアグラムを活用しております。
他にも色々使っているのでしょうが、主だったところではそれになります。

by 鼎 梯仁

645 :考える名無しさん:2016/05/12(木) 03:22:53.72 0
ちなみにその他のケースでは、例えばお昼時にいつもより早く空腹感が来た場合などで
「まだ昼休みまで1時間あるぞ」などと我慢する場合にもザ・ダイアグラムを活用しているように思いますし、
カラオケに行ってよりいい気分で十八番を唄うといった場合でもザ・ダイアグラムを活用しているように感じます。

共通しているのは、ザ・ダイアグラムはとてもメタな領域と言いますか、
何かしらの境界に近いところで稼働しているように感じますので、
何かそういった境界を操作するものなのかな?という風にも感じています。

例えば「ザ・ダイアグラムは人と動物の境界を規定している」だとか、そんな感じです。
ザ・ダイアグラムは高度に還元された成果物であるため一口に説明することは中々難しいと言いますか。
また、説明する必要自体がないのかも知れませんし、様々な比喩でもって説明したところで、
それはザ・ダイアグラムを説明したことになるのか、私には自信がないのです。

by 鼎 梯仁

646 :考える名無しさん:2016/05/12(木) 03:31:02.29 0
言い訳しないで行動しろよ

647 :考える名無しさん:2016/05/12(木) 19:17:36.87 0
イスラム教についてであれば、中田考氏のテクストがオススメです、とても面白いですよ。氏の本は何冊かありますけど、私が読んだのは『カリフ制再興 ―― 未完のプロジェクト、その歴史・理念・未来』 太田出版 2015年 
『イスラーム 生と死と聖戦』 集英社新書 2015年 
『私はなぜイスラーム教徒になったのか』 太田出版 2015年 
の三冊です。なお、Kindleにあるかどうかは分からないです、すみません。
さて、今の私の議論だと、イスラム教にある種のファナティズムがあるという点については認めざるをえない所があると思います。実際、イスラム教は一神教(これに属するのが経典の民です)以外の宗教を認めるロジックがありません。
ただ、イスラム教は恐ろしいまでに解釈の性能が高い宗教です。それこそ、教義上は他の宗教を認めずとも解釈によって他の宗教を認める事が可能なくらいに。
まあともあれ、その辺りは中田氏の本を読んだ方が精確だと思います。神への帰依に関する徹底的なファナティズムと神への帰依以外への徹底的な寛容。その二点はイスラム教の特徴だと思うのです。
それから、私は前にイスラム教における神と諸々の人間の関係をシグマ思想の世界観と価値観の関係に似ているとしましたが、あれに違いが有るとすれば、イスラム教には色も匂いもあるのに対して、シグマ思想が無色の願望器である事でしょうか、と今思っています。
何せイスラム教は1000年単位の歴史を抱えていますから、色や匂いぐらいついてしまいます。対してシグマ思想は歴史を持ちません。そういう点でのイスラム教とシグマ思想の異質さは、やはりあると思います。
シグマ思想を活用し、実際に何らかの活動を行うという発想は初めて見たので斬新に思います。私にとって思想とは、それの言う事に耳を傾けるものであって、それを用いて何かをする物ではありませんでしたから。

648 :考える名無しさん:2016/05/12(木) 19:18:35.45 0
私は、シグマ思想、もしくはそれに似た論法を万能の思想だと思っています。それによってであれば、この世界にある全ての事物を価値観の相違に過ぎないと呼び記述できるであろうとも。
ただ、問題を引っ張るとすれば、シグマ思想によってはこの世界の彼岸を予感する事ができないという事を挙げるでしょう。
ハイデガーの言葉を導入するなら、シグマ思想はこの世界に存在する事物、存在者を記述する事はできますが、存在者を有らしめている所のそれ、存在を予感させる事はできないという印象です。
ウィトゲンシュタインを引くなら、「語りえぬものについては沈黙しなければならない」というあの有名な語、その「語りえぬもの」を語るための語として、シグマ思想は適さないという感があります。
では、「語りえぬもの」、もしくは存在を語るにはどうすれば良いか、それを語るのは、幾つかの詩や芸術。ジェームズ・ジョイスのフィネガンズ・ウェイクの事は、それをなさんとしているものとして少し前に引っ張ってきました。
しかし、なぜわざわざ語り得るものの彼岸を予感しなければならないのか。その回答には、あのニヒリズムが関わるといってもいいでしょうか。
それはあらゆる価値観の転倒、故に存在事象の無意味化です。その解決のために、存在というそれが要請されています。

649 :考える名無しさん:2016/05/12(木) 21:23:48.02 0
>>647
詳しい解説ありがとうございます。
おかげさまでイスラム教に興味が沸いて参りました。

検索して見ると『イスラーム 生と死と聖戦』がKindleストアにありましたので、
さしあたってこちらで勉強させて頂こうと思います。
(早速、何段落か拝見した限りでは読み易い語り口で面白そうです。)

よく考えてみるとイスラム教も“シグマ思想の一部(それもおそらく重要な)”なのでしょうから、
「あまり興味が湧かないんだよね」といったリアクションはシグマ思想的では無かったと反省する次第です。

もしかすると暗に(中田考氏が思い描いているカリフとは、おそらく鼎さんのことですよ!ドーン)と
仰られているのかも知れませんのでそのあたりも少しだけ意識しながら拝見致します。

by 鼎 梯仁

650 :考える名無しさん:2016/05/12(木) 21:27:05.30 0
取り敢えずカリフ名乗ってみれば?
イスラム教徒でもないものがカリフを名乗るって段階で口で言ってるだけで何も学んでいないんだなって気はするけどw

651 :考える名無しさん:2016/05/12(木) 21:44:01.83 0
>>647
>イスラム教には色も匂いもあるのに対して、シグマ思想が無色の願望器である事でしょうか、と今思っています。
>何せイスラム教は1000年単位の歴史を抱えていますから、色や匂いぐらいついてしまいます。対してシグマ思想は歴史を持ちません。

この点に関してはシグマ思想の意志が関わっているという風に私は感じています。

以前、お話したことがございますが大抵の思想や宗教が到達点について
述べようとする意志も持っていることに対して、
シグマ思想は出発点を述べるばかりで到達点を示そうとはしません。
(つまり、シグマ思想自体はどこかへ向かおうといった意志を持っていない)

シグマ思想の意志がそのような在り方をしているのだとすれば、
根本的にこの思想は永久的であり歴史という概念とは無縁なのでは無いかと思えます。

従いまして現在の時点に限って「シグマ思想に歴史がない」のではなく、
おそらく千年の年月を経た後にもシグマ思想は何ら歴史的な重みを持たない。
という風に考えているのですが如何でしょうか?

歴史好きの方はシグマ思想のコンテンツの中から、そうですね?
三国志か何かでも読めば良いのではないかと思います。

by 鼎 梯仁

652 :考える名無しさん:2016/05/12(木) 22:52:41.75 0
はむ、後ろ半分は無視ですか。まあ無視してもいい部分なのですけど。
ともあれ、シグマ思想は1000年後も歴史を持たない、ですか。言われてみるとそんな気がしますね。それは何かが書き込まれるだけの下地、フォーマットに過ぎないのだから。
イスラム教にも、性質は違うながらそんな傾向はある気がします。大体、イスラム教において、時間はあまり意味を持ちません。
神は過去から未来まで、初まりから終末までの世界を一度に創造したのですから、神の御前には過去も現在も未来も等しいものでしかないのです。故に、世界の運命は神によって完全に予定されています。
しかし、この考え方はシグマ思想が時間を持たないのとは性質が違うと思えます。それは下地ではないから。

653 :考える名無しさん:2016/05/12(木) 23:12:37.36 0
なお、世界観に彼岸があるという事、それはコミュニケーションの実現不可能性でもあります。
世界観が存在しないという事、あらゆる言葉の実現不可能性、存在事象の実現不可能性、それらを「性関係は無い」というラカンの告げた言葉で纏めましょう。
性関係にまつわる様々な事、言語、思想、宗教、全ての名で括られるそれらは空虚でしか無いといった所です。そして、人間はその空虚に於いて有る者として解されます。それが性関係は無いという事です。
それは別の人型生物の存在可能性です。人間は、人間的で無い人間とは別の人型生物でありえるのだ。人間性の不可能性故に。

654 :考える名無しさん:2016/05/13(金) 00:12:47.25 0
>>653
端的にお答えすると「存在を語ること」がどう有意義なのか分らないのですね。
(昨日の反省から「興味が無い」という言い方をすることは廃止しました。)

少なくとも思想の分野では何が存在するとみなすかなど
それぞれが勝手に決めて良い事柄であり、悩むべきところは聴衆の琴線に触れる言葉の選別のみであると私は考えます。
そもそも非物質を扱うこの分野では「存在を証明する」という方法が存在しないとも思えますし、
在るとしてもそれは相手の共感回路を起動する程度の話でそれほど大袈裟なことではありません。

例えば私はコミュニケーションという言葉を基本的に使用しないのですが、
それはその言葉が表す意味や状況が分りにくいからです。本当に成立しているのか?何をもって成立したとするのか?
どの程度なら合格なのか?そういう意味では私は「コミュニケーション虚構論者」であると思いますね。
コミュニケーションなどという言葉に逃避した段階で私としては敗北と言いますか。

by 鼎 梯仁

655 :考える名無しさん:2016/05/13(金) 00:14:33.30 0
人はリアクトして表現しているだけでお互いにコミュニケーションなどしていない。

コミュニケーションというのは一種の願望で、そうした願望を持つ人が非常に多いことから
あたかも実在していると見なされている。それが実態でしょう。信仰派の人たちにとっての神様のようなもの。
そうした願望をもつ者が大多数であることは容易に察しがつきます。

>>661の図を見てください。
そこらに散らばっている情報(混沌)は誰かに知識(秩序)として食されて昇華(消化)され、
また情報(混沌)として排泄されて行きます。
そのようなリアクト(反応)の連鎖が人の社会であるなら、人は自分が排泄した情報を誰かが知識として取り込んで連鎖してくれることを期待する。
その期待感や願望をコミュニケーションと呼んでいるだけで実際には個々がお好みで召し上がっているだけに過ぎないのではないかと思えます。
否、実際そうなのだと思います。

コミュニケーション願望などという不遜な期待感を抱かず、
ただ精一杯リアクトの連鎖を発生させることが和の精神の正体なのだとすれば、
それはイスラム教徒がもつ敬虔さと似ていると言えるのかも知れませんね。

如何でしょうか?

by 鼎 梯仁

656 :考える名無しさん:2016/05/13(金) 00:52:16.60 0
従いまして、私は今後も事あるごとに「人間にコミュニケーションなど不要」といったことを申し上げると思いますが、
それはとてもポジティブな意味で言っているとお考え頂ければと思います。

そして私はこのインターネットというものに対しても
「これは本当にコミュニケーションのための道具なのか?」と強い疑念を抱いているのです。

ただでさえ虚構臭いコミュニケーションという概念を更にネット越しにやる。
何だか、ややこしくてよく分らないじゃないですか?何がやりたいんだ?どうしたいんだ?と。

私にはこのインターネットという文明の利器は、和の精神に則って
ただリアクトの連鎖を起こすための情報伝達装置(混沌発生装置)として活用した方が有意義であると思えるのです。

誰も彼もが「インターネットでコミュニケーションしよう!」などと張り切っていますが、
私には正直よく分りませんね。いいね!ボタンを押してみたり既読無視を咎めたりして
一体どのような文明的意義があるのでしょうか。

by 鼎 梯仁

657 :考える名無しさん:2016/05/13(金) 01:17:41.45 0
ふむ、思考が混乱してきましたね。という訳で、すみませんが一旦議論を打ち切らせていただきます。もう一度文を読み直しながら考えてみることにします。

658 :考える名無しさん:2016/05/22(日) 22:59:00.48 0
定期あげです。


by 鼎 梯仁

659 :考える名無しさん:2016/05/31(火) 21:40:25.28 0
6月末に図案化されたザ・ダイアグラムを公開する計画を公表しておりましたが、
どうも今一つ機運の高まりが感じられないため無期限延期とさせて頂きます。

現状、私だけが盛り上がっているという状況ですので、
そこまで用意する必要性が少なくともまだないのだと思います。
(作るだけ作って公開せずにこっそり所持だけはしておくと思いますが)

by 鼎 梯仁

660 :sage:2016/05/31(火) 22:22:09.46 0
https://www.youtube.com/watch?v=nZDsMPhj4p4

661 :考える名無しさん:2016/06/07(火) 23:46:27.41 0
とくに書くことも無いので書評めいたことを書きますが、
以前紹介した西垣先生の本は掴みこそ良かったものの、
後半の検証工程が微妙な感じでしたね。

インターネットの出現によって直接民主制が実現可能となったのでは無いか?
という提言だったはずなのにそれを実現する概念として、
功利主義などの「インターネットがない時代の考え方」を当て嵌めようとされている。

これはとても無理があることだと思えましたね。
四角い箱に丸い物を無理やり納めようとして苦労しているように伺えました。

by 鼎 梯仁

662 :考える名無しさん:2016/06/07(火) 23:46:52.69 0
すみません、ageるのを忘れました。

663 :考える名無しさん:2016/06/07(火) 23:56:04.49 0
上手い言い方かは分りませんが、西垣先生は「エンジニア」なんですよね。
道具を色々触るのはお得意なのですが、道具そのものを作ることは苦手とされているように見受けられました。

どのような分野にもエンジニアとアーティストがいるように思うのですよね。
例えば、学者さんというのは皆さん専門知識という道具を使いこなすエンジニアなんですよ。

一方で私がなぜ工業高校卒という専門知識で思想家が務まっているのかというと、
私はアーティスト属性だからでは無いかと想像致します。
私は四の五の述べる前にシュッと描くじゃないですか?考える前に手が動いてしまう。
これはアーティストそのものだと思うのです。

by 鼎 梯仁

664 :考える名無しさん:2016/06/08(水) 00:08:54.08 0
そのように考えると私が説いている「和の精神」も、
ザ・ダイアグラムという想像力の源泉1つでもって、
道具は都度作れと言っているわけですから、
もしかすると皆が皆アーティストになるべきだと言っているのかも知れず、
それはただの「無茶ぶり」なのでは無いかとも思えてくるのです。

ただ、民主主義が一番進んでいるアメリカ人と関わっていますと、
彼らはとても教条的になることを恐れていて似たような局面でも都度
「この道具は適切なのか?」という話し合いをするのですね。

従って、より進歩した直接民主主義の世の中へ進歩しようとするのであれば、
都度アートする、都度想像力を働かせる、という心構えを持つ文化が必要なのかなと思えます。

私が新国家樹立へ至る目論みとして「新しい思想を作る」というところから着手したのも
こうした考えからなのです。
「発想する」という行為を誰もがごく自然な反応として欲しい。己のリアクトに組み込んで欲しい。
その力を持っていることを思い出して頂きたい。

そうした願望がシグマ思想やザ・ダイアグラムという成果物となったとお考え頂けると分り易いかなと思いますね。
私が頑なに「教義は書かない」として譲らないのも、それは各々がすべきであり、
そうした理念が自然であって欲しいからなのです。

たとえ万人に感銘を与えたとしても、私の教義は私のものであって皆さんのものには成り得ないからです。

by 鼎 梯仁

665 :考える名無しさん:2016/06/08(水) 00:20:06.04 0
そして私がシグマ思想(和道)を開くことで望んでいるただ1つのことは、
誰もに「己が己であることの尊さ」を知って貰うことであり、
より進歩した文明、具体的には直接民主制や多様性(ダイバーシティ)の世の中を実現するには、
まず各々がそのこと「己が己であることの尊さ」を“自覚”することが順序として先であろう。
という考えなのです。

少なくとも私は凡人を天才にしたいとか、貧乏人を裕福にしたいとか、そういうことは考えておりません。
天国を作りたいとも、天国へ行きたいとも思っておりません。

私にとっての“達成”は「私が私であること」であり、それが私が後世の人々に対して出来る最高の取組みだと考えるからです。
なぜなら、これから生まれて来る皆さんは皆、私の子孫であるからなのです。

by 鼎 梯仁

666 :考える名無しさん:2016/06/11(土) 17:54:38.35 0
このところ皆さんの書き込みがなく、少々残念な思いをしております。
何かご要望があれば応じたいところですが如何でしょうか?

by 鼎 梯仁

667 :考える名無しさん:2016/06/13(月) 04:45:48.78 0
議論も尽きているようだしアンガージュマンする方向に切り替えてもいいではないですかね。

668 :考える名無しさん:2016/06/13(月) 23:04:45.96 0
つまり、まずはザ・ダイアグラムのシンボル化ということでしょうか?
それは分かっているのですが、皆さんそこまで盛り上がってないですからね。

ここはアマテラスが天の岩戸に隠れてしまった逸話を参考にしたいです。

by 鼎 梯仁

669 :考える名無しさん:2016/06/14(火) 02:27:25.77 0
>>667
では、思想面についての議論は一段落ついたとのことですので、
我々のコミュニティについて検討するというのは如何でしょうか?
シグマ思想信奉者の社会性について、という部分も含めてです。

例えばまず団体の仮称は「和道協会」としましょう。
シグマ思想は学問でも宗教でもないため、その団体はさしあたって「協会」と名乗ることにしました。

団体の目的はシグマ思想(和の精神)を実践するといったところでしょうが、
これでは何だかよく分りませんので(シグマ思想にはザ・ダイアグラムしか規定されていない)、
シグマ思想の活かして何が出来るのか?という点に着眼して、
「本当の民主主義を志す団体」ということで、如何でしょうか?

ここまで書くと何だか中国の法輪功に近いものなのかな?というイメージも持ちますね。
法輪功の創始者である李洪志(この人も鼎 梯仁と同様、出自、経歴がはっきりせず胡散臭い一方で、エリートほど心酔しているという類似が見られます)によると、
法輪功は「道家」と「仏家」の思想を根底に併せ持つ先史文化に根ざした気功であるという。
ということで、時代から根差しているものをベースにしているという点でシグマ思想とよく似ています。
原点回帰的な発想が最初にあると言いますか。

そして教義を用いず、気功という体操で共同体の連帯を計るという点も、
ザ・ダイアグラムというシンボル1つで連帯を計る和道協会の構想と似たところを感じますね。

これは自己分析なのですが、李洪志や鼎梯仁は「まだ学問化されていない領域」を開拓しようとしている人物である点が、
学問を修めた者にほど魅力的で輝いて見えるのかも知れません。
あえて道無き道を行こうとする生まれ持っての闘争心、好奇心が整備された道を好んで歩いて来たものには別格的に見える。
「この人は神様なのかも知れない」という風に感じる。

如何でしょうか?

by 鼎 梯仁

670 :考える名無しさん:2016/06/14(火) 02:29:10.84 0
×時代から根差しているものをベースにしているという点で
○古代から根差しているものをベースにしているという点で

671 :考える名無しさん:2016/06/18(土) 00:15:04.76 0
皆さんご興味が御有りの話題かと思いますので少しだけお話させて頂きますと、
シグマ思想(和道)の教義上、三種の神器の化身である私、鼎 梯仁の器に相当する肉体の起源は
ミトコンドリアハプログループFに所属しており、縄文時代からの日本列島土着民であると想定されております。

つまり、鼎梯仁の器(肉体)は弥生人である天孫族(天皇家)よりも
何千年も昔からこの日本列島に存在していたということになるかと思います。

とはいえ、このことは私が天孫族から日本列島の王権を奪い返すことを画策しているということではございません。
そもそも縄文人から弥生人への「国譲り」を行ったのは私の肉体的祖先に当るわけですから、
私がそうした企みを持つことは祖先の意向に反することになるわけです。

ですので、どちらかと言えば太古の行われた国譲りの儀式を改めて執り行い、
現在の大和王権が天孫族にあることを再度認識させようというのが、
私が考えていることであるということになると思います。

672 :考える名無しさん:2016/06/18(土) 00:20:53.34 0
ちなみにミトコンドリアハプログループFという肉体的系統は、
グループM7と共にかつて東南アジアに存在したものの海中に没した「スンダランド地方」から、
その壮大なる天変地異から避難して日本列島へ訪れ、古日本人を形成して伝説の縄文文化を築いたと考えられている一派になります。

三種の神器の霊格がそのような器を選択して鼎 梯仁と成ったことは中々神秘的でもあり面白い逸話ではないかと思います。
神話となるに十分なエピソードであると申しましょうか。
(とくにグループFは今となっては希少な古代種ですからね。)

by 鼎 梯仁

673 :考える名無しさん:2016/06/18(土) 00:23:58.55 0
ちなみにこの話は勝手に想像しているのではなく、実際に科学的な遺伝子審査を受けたものです。
私のDNAはすでに遺伝子データバンクに登録されておりますので、
「本当にグループFなの?」と疑問に感じる方は然るべき機関にお問い合わせ頂ければ、
間違いのない事実である回答を得られるはずです。

※ただし、現時点では遺伝子情報はデリケートなものだと認識されていますので「お答えできません」と言われる可能性もあります。

by 鼎 梯仁

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