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古代の関が原 関東の東西戦争
- 1 :日本@名無史さん:2010/09/10(金) 22:26:33
- いつ頃の話だったの?
物部の祖先vs蝦夷とか?
- 8 :日本@名無史さん:2010/09/18(土) 11:03:23
- 物部が縄文系だったのか弥生系だったのかという話と、
蘇我氏が仏教を持ち込んだ時期は、時代がずいぶんずれてますね。
物部は弥生系。稲作を東北南部にまで広げていったのも物部の祖先。
- 9 :日本@名無史さん:2010/09/18(土) 12:04:29
- >>3
今でたとえるのは無理があるが
明治でたとえればキリスト教だろうな
- 10 :日本@名無史さん:2010/09/18(土) 12:46:11
- >>3
当時の仏教には「舶来の権威」ってものがあったから
オウム真理教と一緒にするのは、いくらなんでも無茶。
- 11 :日本@名無史さん:2010/09/18(土) 23:01:18
- >>8
> 物部は弥生系。稲作を東北南部にまで広げていったのも物部の祖先。
東北南部(=福島あたり)の開拓者は大彦-建沼河-阿倍氏系&丈部氏じゃないかい?
あそこら辺の国造の名前は、軒並み丈部氏からの改姓阿倍氏だぞ。
- 12 :日本@名無史さん:2010/09/19(日) 01:08:28
- >>1
ヤマトタケルの東征物語なら2〜4世紀、
武蔵国造の地位をめぐる戦いならば6世紀前半の話。
後者は巨視的には
>東西戦争
であるが、同時に関東においては
「南北戦争」
でもあるともいえる。
北関東の覇者・毛野君氏と武蔵国造・笠原直氏の戦いでもあるから。
- 13 :日本@名無史さん:2010/09/19(日) 01:37:06
- それ以前に石上社が『日本書紀』で伊勢神宮ともうひとつだけの神宮に祭り上げられているだけでも十分だろう。
そして壬申の乱で敵側大友皇子についたにもかかわらず天武天皇から朝臣の姓をいただいた物部麻呂が存在する。
その後、石上麻呂と名を変え文武朝で正二位左大臣(右大臣藤原不比等との二頭政治だが、臣下のトップでもあった)に昇進、元正天皇はその死に従一位までも追贈している。
この物部の高待遇ぶりは乙巳の変で物部の宿敵、日本史上最大の悪役蘇我氏が滅ぼされたことも影響しただろう。
が、実は麻呂への協力・支援体制にあると思わせていた藤原不比等の謀略でもあったのかもしれない。
大王家の鎮魂を行う社の神剣布都御霊を、石上神宮の祭祀そのものを、中臣氏(大中臣氏)の手に奪い取りたい、と考えていたかもしれない。
事実それ以後石上社の神宮名は取り払われ、不比等の父鎌足に縁の深い鹿島神宮・香取神宮だけが昇格している。
そして香取神宮は布都御魂そのものでもある経津主神を主神としているし、建御雷神を主神とする鹿島神宮には布都御魂剣(由来不明)まで安置されている。
中臣氏は元々朝廷の神祇官であったから、朝廷のモノノフであった物部氏が石上社の祭祀を独占していたことが気に入らなかったのかもしれない。
そこで蘇我氏に敗れ多少なりとも格の落ちた石上社を、物部氏を、持ち上げるだけ持ち上げた後に我が手にしようと企んだのだろう。
ところがさしもの藤氏であっても石上神宮には手を出せなかった。
天皇家の祭神でもないのになにやら不思議なイワクありげな話だ。
それゆえ物部氏も合わせて、本当の皇統はその祖ニギハヤヒにあり、いや天火明命にありなどと色々と言われるネタになったりもしているのだ。
- 14 :日本@名無史さん:2010/09/19(日) 02:00:38
-
ググッても出てこないんだけど、昔TVで古代関東の関が原合戦みたいなものがあった、ってやってたんだけど、ウロ覚えで全然内容が思い出せないんだ。
日本武尊じゃなければ、それ以前のニギハヤヒ、物部、へたすりゃナガスネヒコがらみかなあ、なんて思いながら誰か教えてくれないかなとスレを立てました。
そして>>2の疑問に答え、更正を入れていただけたならなおありがたいです。
- 15 :日本@名無史さん:2010/09/19(日) 02:04:55
- 藤原って何者?
石上神宮を我が物にしようとしていた?
鹿島神宮だって元々は、和爾氏族の大(多氏)の祭神を藤原氏が継承した(奪った)ものだというし・・
古代の祭政一致文化の時代にそんなことをして、バチが当たるとかの恐れる気持ちは無かったのかね?
- 16 :日本@名無史さん:2010/09/19(日) 02:50:44
- うちの父方の家のちょっと南の方に「三輪」とか「奈良」とかの地名があるんだけど、最近それがすっげー気になる。
但し、地名のわりに何故か三輪神社は無くて、かわりに熊野神社が古くからの氏神っぽい。
ちなみに東京某所ね。
- 17 :日本@名無史さん:2010/09/19(日) 12:48:54
- >>16町田ですね。
三輪町があるので三輪山もあるのではないかと探してみたら、谷戸山もしくは三輪緑地といわれる広大な緑地が残ってますね。
これはたぶん、奈良の三輪山と同じように禁足地だったために開発から免れたのだと思われます。
町田市は武蔵国と相模国の境にあるけれど、相模国や武蔵国などの国造が進んで道が整備されるまでは、
谷本川(実は、大和川?)などの河川が唯一の交通手段だったし、大和からやってきた人たちが故郷を偲んでこの山を三輪山と名付けたのだろうと考えられます。
町田市三輪緑山に西谷戸横穴墓群というのがありますが、横穴墓は古代豪族である安倍氏との関係があるといわれています。
今回の話は、ちょっと調べただけなので間違っているかもしれませんが、歴史は調べれば調べるほど面白いですよ。
- 18 :日本@名無史さん:2010/09/19(日) 13:08:55
-
武蔵国造は出雲国造と同祖
熊野神社はスサノオ
三輪山は大物主
やはり出雲系に関係ありということでしょうか?
- 19 :日本@名無史さん:2010/09/19(日) 13:45:36
- >>11
越後国造の高橋氏(彌彦いやひこ神社社家)も安倍氏と同じ大彦命を祖としてますね。
>>12
ありがとうございます。
毛野君氏vs笠原直氏 勉強してみます。
>>15
本当は中臣氏も、和珥氏や春日氏と同じ孝昭天皇・武振熊命を祖とする皇別氏族である可能性もなきにしもあらず。
皆おなじ春日神を氏神としているわけですし。
とすると中臣氏も新羅系海人族の出という目も出てくるかも。
- 20 :日本@名無史さん:2010/09/19(日) 22:11:15
- >>17
詳しい説明をどうもありがとう。
お察しの通り父方の実家(父方の祖父母および伯父の家)は町田の北端の方です。
横穴古墳群は自分も何度か目にしています(鶴川駅の北の方にもある)が、あれは昼間に見ても結構不気味だったりします。
それが安倍氏と関係があるとは驚きでした。
そうなると埼玉稲荷山古墳のオワケの臣とかとの関係も気になるところですね。
あと>>16では三輪町の氏神は熊野神社らしいと書きましたが、
そこから沢谷戸自然公園を挟んで1kmほど東に行った所に椙山神社があり、この両神社が三輪町に古くから存在する神社とのこと。
そして、この椙山神社のご祭神は日本武尊とならんで、なんと大物主神です!
ちょっと近いうちに行ってきます!
- 21 :日本@名無史さん:2010/09/19(日) 23:36:20
- >>20
安倍氏の祖、安日彦(あびひこ)は、稲荷山鉄剣で有名な大彦(=長隋彦)の兄という説もあります。
大彦も安日彦も三輪山の大物主(=大国主)につながる出雲系の種族だったことは明白です。
関東や東北造営は、ニニギに出雲国を譲った出雲系の人々の手で進められました。
- 22 :日本@名無史さん:2010/09/20(月) 01:52:16
- 河内草香に日が登る
草香は日下(ひのもと)
草香は日高見
ウマシマジ
- 23 :日本@名無史さん:2010/09/20(月) 02:13:14
- >>21
興味があるので、その説の出元を教えてください。
- 24 :日本@名無史さん:2010/09/20(月) 02:34:27
- 秋田子爵家の伝承か『会津旧事雑考』あたりじゃないの?
- 25 :日本@名無史さん:2010/09/20(月) 12:43:41
- >>24
なるほど安東安倍氏の由来の話なのですね。
ありがとうございました。
- 26 :日本@名無史さん:2010/09/20(月) 15:01:39
- こら待て、勝手にナガスネヒコ・アビヒコを出雲人にするな
- 27 :日本@名無史さん:2010/09/20(月) 15:50:15
- >>26
それどころか他スレのどっかのアホは
ナガスネヒコを四道将軍大彦命にしちゃってましたよwww
- 28 :日本@名無史さん:2010/09/20(月) 21:44:07
- 出雲の国譲り(ニニギVSタケミナカタ)
の話は、
大和の「国譲り」(神武VSアビ、ナガスネヒコ)
の実話
を前時代に投影したものとしか思えない。
神武(ヤマト)政権誕生以前の大和地方は、やはり出雲のテリトリーだったのだ。
- 29 :日本@名無史さん:2010/09/21(火) 14:55:30
- 群馬県(毛野本拠地)の古墳の量ってパネェな。
関東一どころか全国でも一、二を争うじゃん!
- 30 :日本@名無史さん:2010/09/25(土) 21:49:48
- >>2
もののふとかいて武士って読むけど、これって「武=タケル」を意味してんじゃないの?
つまりワカタケルとかヤマトタケルの系列。
武氏、タケル氏が古代日本の大王の姓か?
- 31 :日本@名無史さん:2010/09/25(土) 22:03:54
- おもしろい話だけれど最初の一段、
武士とか武者と書いて「もののふ」と読むのは、大王家の兵所(つわものどころ)物部氏の名残ゆえ、だと思うな。
- 32 :日本@名無史さん:2010/09/26(日) 01:00:21
- 武士(もののふ)とは物部と同義。
矢作部や鞍造部などが代表的な「もののふ」です。
- 33 :日本@名無史さん:2010/09/26(日) 01:15:34
- >>32
軍事的な勢力だったわけか
- 34 :日本@名無史さん:2010/09/26(日) 11:59:59
- 物部氏が朝廷の正規軍
大伴氏が朝廷の近衛軍
中臣氏が朝廷の神祇官
- 35 :日本@名無史さん:2010/09/28(火) 17:27:54
- 物部氏は大王家(天皇家)になり損ねた古代豪族。とか。
ウチの地方には結構広い物部(ものべ)地区が有ります。往古の荘園か何かの名残でしょうか
葛城の賀茂氏も曰く因縁が深そう。
往古、「賀茂の公は神の君」といわれていたとか。
- 36 :日本@名無史さん:2010/09/28(火) 20:47:48
-
『日本書紀』では神宮とつく社は伊勢神宮と石上神宮だけ。
天孫族の葦原中津国・大和制圧の象徴、布都御魂剣は石上神宮に安置されている。
神功皇后は百済が貢いできた「七支刀」を石上神宮に安置した。
これだけとっても物部氏が王権と同意義であることが伺える。
- 37 :日本@名無史さん:2010/10/01(金) 15:01:17
- 香取神宮は物部そのものか?
- 38 :日本@名無史さん:2010/10/01(金) 19:53:19
-
経津主すなわち布都御魂は香取神宮、石上神宮の主祭神ではあるが、
その剣はもともと東遷以前の朝廷の葦原中国平定の象徴だった。
それが大和入りの際に天津神より神武天皇に授けられたはずなのに、
なぜだか物部氏が自分達が帝に捧げたのだから、と石上神宮に祭ってしまった。
ゆえに物部氏が王権に係わりがない、剣はただの借り物、となるならば香取神宮は物部氏とも係わりが無いということになり、l
物部氏が王権そのものであったならば、香取神宮も物部氏そのものということになろう。
- 39 :日本@名無史さん:2010/10/01(金) 22:26:04
- もの、とは恐ろしいとかおどろおどろしいとかを意味し 物部とは軍部の事。
物部氏は軍事を専門にする一族、武士をもののふと言うのは軍人だからだ
- 40 :日本@名無史さん:2010/10/01(金) 23:01:50
- >>39
物の怪と言う事か
- 41 :日本@名無史さん:2010/10/01(金) 23:58:37
-
そして石上神宮は剣の社であり、大王家の武器庫でもあった。
- 42 :日本@名無史さん:2010/10/02(土) 00:52:46
- 宇都宮とは布都の宮
布都主の都だった布都の宮を毛野氏が乗っ取って地名の音だけを引き継いだ。
- 43 :日本@名無史さん:2010/10/02(土) 00:58:42
- >>42
例えば新潟には物部神社がいくつもあり、あまつさえ朝廷に対する鎮魂際を行うなどと豪語するのは石上神宮と彌彦神社だけである。
宇都宮には、物部氏がらみや経津主・建御雷がらみの逸話や神社が残っているのでしょうか?
- 44 :日本@名無史さん:2010/10/02(土) 01:02:10
- 俺は宇都宮は一宮(いちのみや)の栃木なまりだと聞いたぞ!
- 45 :日本@名無史さん:2010/10/02(土) 01:55:47
- >>40
物の怪はつくも神のような、物の化身だと思うな。
- 46 :日本@名無史さん:2010/10/02(土) 02:26:07
- >>40
今でも、ものものしい という語もあるね
- 47 :日本@名無史さん:2010/10/02(土) 02:54:56
- >>40
物騒とか
- 48 :日本@名無史さん:2010/10/02(土) 23:06:47
- >>43
自分で調べてみた。
布都宮の真偽は定かではなかった。
が、宇都宮氏は藤原北家を自称するので、香取神宮・経津主と全く関係無いかといえばそうでもない。
そして宇都宮氏が社家を勤める二荒山神社は大物主と事代主を祭神とし、日光の二荒山神社は大国主親子を祭神とする。
どちらも出雲系の神といえないこともない。
物部氏を代表とする、大和朝廷以前の旧勢力の関係と考えたほうがいいかもしれない。
- 49 :日本@名無史さん:2010/10/03(日) 00:13:58
- >>48
宇都宮はその意味する所は不明ながら二荒山神社に由来している事ははっきりしているらしい。二荒山神社
は大物主らも祀っているが、主祭神は下野国の開祖で下毛野氏の祖とされる豊城入彦命である。宇都宮氏も
藤原北家は仮冒で実際は下毛野氏系と考えられている。
日光の二荒山神社は何故か大己貴命親子が祭神だが、俺の私見では日光三山そのものを祭神とするのが
本来の形で、それがそれぞれ大己貴命親子とされたのは後付けだと思う。
- 50 :日本@名無史さん:2010/10/03(日) 11:53:46
- >>48、49
宇都宮二荒山神社にほど近い県庁の北側に御蔵山古墳というのはあって、
天皇の直轄の屯倉(みやけ)があったのではないかと思うのです。
その北側の八幡山と呼ばれる丘陵地には天子塚古墳、つまり、天皇の墓という名前の墓があり、
私見では、ここが豊城入彦もしくはその子孫の墓なのではないかと考えます。
- 51 :日本@名無史さん:2010/10/03(日) 21:15:25
- 皇別氏族である毛野氏すなわち宇都宮氏が藤家を僭称したくらい藤原北家の権勢は凄まじいものだっただろうことはわかる。
しかし社家を勤める二荒山神社で大物主(三輪の神)と事代主(大国主の息子、葛城の地神説もある)を祭神とするのは、物部氏と同様に大和の旧勢力であったことが想像できる。
毛野氏は、本当は昔の、裏の朝廷の、葛城王朝の一派だったようにも思える。
ちなみに毛野氏と争うことになる武蔵国造は、出雲国譲りの際に関東に逃れてきた出雲国造の末裔と言われている。
- 52 :日本@名無史さん:2010/10/03(日) 21:22:34
- >武蔵国造は、出雲国譲りの際に関東に逃れてきた出雲国造の末裔と言われている。
丈部(のちの武蔵)氏?
- 53 :日本@名無史さん:2010/10/03(日) 21:39:20
- WIKIより
无邪志国造(むさしのくにのみやつこ・むさしこくぞう)
祖神は『古事記』では建比良鳥命(たけひらとりのみこと)、『日本書紀』では武日照命(たけひなてるのみこと)・武夷鳥命 ・天夷鳥命(あめのひなどりのみこと)と記され、天日照命(あめのひなでりのみこと)とも
氏族は丈部氏、のち武蔵氏。姓は直だが、のち宿禰。一族として笠原氏・物部氏(物部連とは別)・大伴氏(大伴連とは別)・檜隈舎人氏など
- 54 :日本@名無史さん:2010/10/04(月) 00:31:55
- 埼玉稲荷山古墳のヲワケ臣は大彦命の子孫だから孝元天皇の皇別子孫ということになるけど、丈部氏は孝昭天皇の皇別子孫とされる。
だがこの両者は密接に結びついてるっぽい。
武蔵国に於いてもそうだし、陸奥国に於いてもそう。
陸奥国南部の安積郡や信夫郡や会津郡や磐城郡や柴田郡等の旧国造達が武蔵国造と同じ丈部氏なんだが、
神護景雲3(769)年に、阿倍安積臣、阿倍信夫臣、阿倍会津臣・・・といった具合に一斉に阿倍姓に改姓している。
また、武蔵国でも先に述べたヲワケ臣は孝元-大彦(阿倍氏)系だが、やがて武蔵国造には孝昭天皇系の丈部(武蔵)氏が就くことになる。
- 55 :日本@名無史さん:2010/10/06(水) 17:35:42
- >>53
武蔵国造の祖・兄多毛比命を通説通り「エタモヒ」と読むのでなく、
「タケヒ」と読んだ場合、色々と整合性がとれることがあるよね(この場合「兄」は接頭語)。
景行紀に倭建命に随行して関東・東北を平らげた大伴武日命に一致する。
- 56 :日本@名無史さん:2010/10/17(日) 13:50:49
- 日光戦場ヶ原というのがありますよね。
あそこは、武田信玄と徳川家康が戦った古戦場というわけではなくて、
二荒山の神(蛇)と赤城山の神(むかで)が中禅寺湖を取り合って戦ったと言われています。
蛇の神といったら三輪山の大物主、要するに出雲系の神ということになりますね。
一方、ムカデの方は毘沙門天(七福神)、つまり、南方からの渡来人の神ということになります。
その結果、蛇が勝って、関東平野は豊城入彦やその子孫の毛野氏の支配するところとなった。
- 57 :日本@名無史さん:2010/10/19(火) 01:27:24
- ムカデ退治で有名な俵藤太も大神系なのか?
- 58 :日本@名無史さん:2010/10/19(火) 14:07:56
- >>55
もしかしてエタモヒじゃなくてエタモリじゃないか?
タケヒでは無くタケリであって、すなわち=タケル。
エタモリ、エタモルは〇○守では?
- 59 :日本@名無史さん:2010/10/20(水) 12:46:07
- 埼玉県入間郡の式内社・出雲祝(伊波比)神社の祭神は武日命なんだなこれが。
天穂日命や>>53も挙げている天夷鳥命と並んで。
- 60 :日本@名無史さん:2010/10/21(木) 23:01:24
- 毛呂とは御諸山(=三輪山)のことでしょうか?
- 61 :日本@名無史さん:2010/10/28(木) 21:08:27
- 日女をヒルメと読むように、日はヒルと発音する。(後に省略されてヒメ、姫)
つまり日命は「ヒルミコ」であり、「ル」が表音表記されないからこれが俗に
言う卑弥呼(ヒミコ)である。
つまり日命は称号であり>>55のこれは武・日命ということになる。
- 62 :日本@名無史さん:2010/10/28(木) 21:19:36
- そして日は「ひら、ひる」と読むため>>53のはどれも「天日ら照る命(あめひらてるみこ)」で
あることが分かる。
- 63 :日本@名無史さん:2010/10/29(金) 09:44:28
- 阿毎多利思北孤
天照らす日命
- 64 :日本@名無史さん:2010/11/04(木) 23:13:02
- 穴居たりし北キツネ
北海道では予期見かける風景ですが、弥生時代末期には関東でもそんな風景が普通に見られました
- 65 :日本@名無史さん:2010/11/28(日) 17:25:33
- >>39
あらはばき、との関係は?
- 66 :日本@名無史さん:2010/12/03(金) 11:35:11
- 大非差別人
伊藤兼人
- 67 :日本@名無史さん:2010/12/04(土) 01:53:10
-
唯一石上神宮とともに鎮魂祭を執り行う越後一ノ宮彌彦神社の社家は高橋氏である。
彌彦神と同義とされる大彦命の末である安倍氏の同族、越後国造高橋氏とも言われる。
が一方で、いつの間にか物部傍系膳部の高橋氏に入れ替わっていたのではないか、とも言われている。
彌彦神社、とても謎の多い神社だ。
ちなみに新潟には今でも多くの物部神社が残されている。
- 68 :日本@名無史さん:2010/12/16(木) 01:37:12
- 皇別氏族である毛野氏が、伊勢神宮でなく出雲神を祭る不思議
- 69 :日本@名無史さん:2011/01/01(土) 19:04:40
- 新年明けましておめでとう御座います
本年もどうぞよろしくお願い致します。
- 70 :日本@名無史さん:2011/01/13(木) 23:18:48
- >>68
大和の前は出雲王朝が日本だったようだからな。
- 71 :日本@名無史さん:2011/01/15(土) 23:25:45
-
ニギハヤヒと物部氏も出雲系と見るべきか。
- 72 :日本@名無史さん:2011/01/15(土) 23:49:40
- >>68
出雲と坂東のつながりは半島経由じゃないか
- 73 :日本@名無史さん:2011/01/23(日) 03:52:37
- 羊征伐のことじゃないのかよ。
- 74 :日本@名無史さん:2011/01/23(日) 07:16:40
- 関東の東西戦争
ヤマトタケルの話かな
- 75 :日本@名無史さん:2011/01/23(日) 13:35:43
- 羊というのは羌族(きょう、ちゃんぞく)のことですか?
- 76 :日本@名無史さん:2011/01/23(日) 15:34:40
- 羊太夫。
- 77 :日本@名無史さん:2011/01/26(水) 14:06:51
- 羊太夫由来記
討伐軍第一陣 安芸・周防・長門の三カ国
第二陣 大和・河内・津国・伊賀・近江・美濃・尾張の七カ国
vs
上野の国住人、多胡羊太夫宗勝
羊太夫栄枯記
中国十六カ国、南海道六カ国、都合十万余騎
vs
上野国多胡郡八束山城主、八束羊太夫宗勝
東西戦争だな。
- 78 :日本@名無史さん:2011/02/22(火) 00:09:58.25
-
多胡羊太夫ってのは、物部滅亡時に連座して上野国多胡郡に流された中臣羽鳥連の末裔って言われてるんだな。
中臣鎌足の出身地も関東、常陸国鹿島という話もあり、関東は中臣氏が幅を利かせていたのかな?
物部滅亡以降は蘇我氏が制圧していたのかと思ってたよ。
- 79 :日本@名無史さん:2011/02/27(日) 13:18:52.17
- 物部守屋の一族などは四天王寺の奴婢に貶められた
そのほかの一族はどうなったのだろう
肩野物部氏とか源氏(河内、多田etc)みたいに派生した系統ないの?
- 80 :日本@名無史さん:2011/03/01(火) 22:46:09.75
- >>79
八十物部といわれた物部氏の一族は多い。
石上神宮社家は石上氏を名乗り平安時代前期は藤原氏に重用され、朝臣の姓を賜った。
>>67の膳部(料理・まかない神事)の高橋氏のような支族も多いし、物部神社も島根、滋賀、愛知、富山、新潟、山梨と広範に広がっている。
- 81 :日本@名無史さん:2011/03/03(木) 22:19:56.42
- >>80
では、蘇我氏一族(支流)は大火の改新のあとどうなった
- 82 :日本@名無史さん:2011/03/04(金) 00:34:15.36
- 馬子の子孫石川麻呂が中大兄皇子とよろしくやってたので改名、石川朝臣の姓を賜った。
他の曽我氏も石川氏と一緒に藤原南家に従ったが、仲麻呂の乱以降は南家同様没落した。
- 83 :日本@名無史さん:2011/03/04(金) 07:26:33.42
- >>81
血統なら天皇家に流れてる
- 84 :日本@名無史さん:2011/03/04(金) 22:10:42.58
- 八十物部より多いのが百磐井、つまり百済。
多分、日本人のルーツで一番多いのが百済系ではないだろうか?
- 85 :日本@名無史さん:2011/03/21(月) 00:46:04.04
- ヤマトチョン族
- 86 :日本@名無史さん:2011/04/05(火) 14:58:21.23
- 何を言われたって信じてくれへんかっても構わへん
みんなに見て貰って気付いて欲しい、、
お願いします 広げてくれ、、。
MC SHO - 東北地方太平洋沖地震 A.K.A. 最後の希望
http://www.youtube.com/watch?v=unG7-_yuum4&hd=1
- 87 :日本@名無史さん:2011/04/09(土) 23:12:41.64
- 物部が国を譲った側なら
そんな一族に軍事を任せて大丈夫なの?
おちおちと寝てられないじゃん
- 88 : 忍法帖【Lv=2,xxxP】 :2011/05/01(日) 23:23:45.72
- てすとと
- 89 :日本@名無史さん:2011/05/03(火) 12:44:44.84
- 中臣氏、那珂氏というのは、新羅系の渡来人集団だからな。
自国からの難民を積極的に受入れ東国開拓に当たらせ、一部を私兵として徴用することで力をつけたのだ。
- 90 :日本@名無史さん:2011/05/19(木) 05:49:04.33
- >>80
> 八十物部といわれた物部氏の一族は多い。
> 石上神宮社家は石上氏を名乗り平安時代前期は藤原氏に重用され、朝臣の姓を賜った。
物部氏は元々は複数からなる氏族の連合がやがて一体化して行ったもの。
大伴氏などもそう。
「部」と「伴」は同じ意味で、共に「ともの者」といった意味。
つまり、両氏とも「多くのともを率いる者」といった意味(伴造)。
中臣(藤原)氏はそうした物部氏の一族。
総領筋の守屋が滅んで以降、すっかり弱体化した物部氏がリニューアルされて再登場した姿が中臣鎌足。
- 91 :日本@名無史さん:2011/06/04(土) 10:05:25.37
- 鎌足は渡来人。韓人。菅直人といっしょだ。
政治手法は独善。反感を買って追い落とされそうになるがしぶといところもいっしょ。
物部とは朝鮮半島からの渡来系帰化人集団だったのだ。
- 92 :日本@名無史さん:2011/06/13(月) 05:07:59.28
- 見事な電波スレだな。
- 93 : 忍法帖【Lv=4,xxxP】 :2011/07/06(水) 00:35:39.59
- test
- 94 : 忍法帖【Lv=2,xxxP】 【東電 74.6 %】 :2011/07/20(水) 17:12:13.90
- test
- 95 :日本@名無史さん:2011/08/20(土) 01:21:16.32
- フォッサマグナ(中央構造線)を境に日本の文化が異なるのは、
日本列島は、2つの島が衝突してできたことを意味する。
今日も東北で大きめの地震があったし、いずれ太平洋に沈み込むだろう。
- 96 :日本@名無史さん:2011/09/21(水) 21:42:22.16
- FW 島津義弘 吉川広家
宇喜多秀家
MF 大谷吉継 安国寺恵瓊
上杉景勝
DF
長宗我部盛親 長束正家
石田三成 小西行長
GK 小早川秀秋
- 97 :日本@名無史さん:2011/10/17(月) 10:50:09.51
- >>13
藤原氏が鹿島、香取両神宮を取り込んだり、石上神宮を取り込もうとしたのは藤原氏こそが物部氏本宗筋の後裔だからだよ。
物部氏とは、実際は大王家の出身氏族や久米氏系の一族や播磨鴨氏などから成る複合氏族。
その物部氏を形成した氏族の内の1つ、藤原(中臣)氏は本来は金属神・天児屋根神(金屋子神)を奉じる一族で、その故地は播磨西部から吉備国にかけてであった。
初期国家の原型が形成されてゆく過程で、中臣氏は複合氏族・物部氏の中核氏族であったろうニギハヤヒの後裔一族や久米氏などと姻戚を繰り返し、物部氏全盛期の履中朝期には実質物部中核氏族とほぼ同体化した存在となっていた。
従って守屋が滅んで以降、そんな物部氏のリニューアル氏族として歴史に再登場してきた藤原氏が、自らの祖先神である鹿島、鹿島両神宮を自らの内に取り込んでいったのは同氏にしてみれば当然の行動であったのだ。
因みに、石上氏は物部氏庶流の家筋。
本宗筋を滅ぼして庶流筋を引き立てていくのは政治力学の定番だ。
石上氏は母系で蘇我氏の血を多く取り込んでいると言われる。
その蘇我氏残党が大海人皇子に多く加勢したと言われるから、麻呂の登用はその関係によるものだろう。
物部本宗筋後裔の藤原氏にしてみれば石上神宮の祭祀権も自らの元に帰属させようと考えたのは当然のことであったろう。
- 98 :97:2011/10/17(月) 13:41:39.62
- 自らの祖先神である鹿島、鹿島両神宮を自らの内に取り込んでいったのは→×
↓
自らの祖先神である鹿島、香取両神宮を自らの内に取り込んでいったのは→○
- 99 :日本@名無史さん:2011/12/15(木) 06:44:48.99
- 鎌足って鹿嶋生まれは本当か?
- 100 :日本@名無史さん:2012/01/10(火) 18:50:21.54
- 100
- 101 :日本@名無史さん:2012/01/14(土) 03:28:52.00
- >99
百済王子豊璋
- 102 :日本@名無史さん:2012/01/14(土) 20:45:02.31
- 電波スレだな
- 103 :日本@名無史さん:2012/02/08(水) 10:27:30.41
- 出雲氏族の諏訪〜関東〜南奥州への進出と、タケミカヅチ氏族の北東関東〜南奥州への勢力扶植が気になる。
あと、毛野氏の北関東〜出羽方面への進出も絡めて。
- 104 :日本@名無史さん:2012/02/08(水) 20:32:00.71
- 関東は出雲だな。
- 105 :日本@名無史さん:2012/02/12(日) 10:06:25.65
- それにしても我らが日本の東西の差異隔たりの類が相変わらず根深いってのは一体、どういうことなんだろうと……
俺たちは未だに古代の時から進歩できてないって言うんだろうか? もう千何百年と経ってるっていうのに。
- 106 :日本@名無史さん:2012/02/12(日) 11:53:38.50
- >出雲氏族の諏訪〜関東〜南奥州
現代でも島根から東京行くの大変なのに、
「出雲氏族」なるものが関東に進出したとは信じがたい。
大和に制圧された出雲に仮託した別の集団ではないか?
ただ出雲が縄文系の土地かもしんないことは認める。
- 107 :日本@名無史さん:2012/02/16(木) 05:35:36.57
- 出雲自体がプレ大和なんだよ。
つまり、のちの大和がそうしたように、出雲は大和に先駆けて全国(といってもその版図は後の大和よりももちろん限定されたものだが)を緩やかに統合していた。或いは統合しつつあった。
だが、そんな出雲が今度は大和に統合(国譲り)させられてしまったので、その大和が出雲の事業を引き継ぐ形で、より規模を拡大して全国を統合していった。
信州や関東はそうした出雲朝廷時代の出雲とより親和的な関係にあったのだろう。
のちには武蔵国内の覇権を巡って出雲系氏族内(笠原一族内)での対立が起こったが。
その笠原一族でも、新興地域である北武蔵の元荒川流域の笠原直使主が、やはり新興の大和朝廷と結んだというのが興味深い(より古い地域である南武蔵の首長勢力は毛野氏と結んでいた)。
- 108 :日本@名無史さん:2012/02/17(金) 08:20:30.99
- 福島県も原発放射能も安全です!
核アレルギーの反日左翼マスゴミや太郎が一方的にネガティブ報道して、国民を洗脳して煽ってるだけです!
日本のtvもこういったこと放送しようよ!
BAZOOKA 切腹ピストルズ 田母神俊雄
http://www.youtube.com/watch?v=WuZ2-2gXIts
日教組進行の学校が本当の歴史教育をしないから、国力が低下する。
MCの小藪干豊って意外とまともなんだなw 見直した!
- 109 :日本@名無史さん:2012/03/02(金) 16:41:55.30
- 新羅からの移民の反乱?
- 110 :日本@名無史さん:2012/03/07(水) 16:55:16.52
- 違う。
- 111 :日本@名無史さん:2012/03/31(土) 20:35:06.41
- 西の関が原の戦いが1日で決着したので、東の関が原の戦いで伊達政宗は東日本を制覇することが出来なかった。
もし、西の関が原の戦いが長引いていたら、日本は東西2つの国に分裂したまま今に至っていたかもしれない!!
- 112 :日本@名無史さん:2012/03/31(土) 23:52:41.02
- 関ヶ原が長引いてたら上杉が最上を滅ぼしてるよ。
- 113 :日本@名無史さん:2012/04/01(日) 08:31:24.83
- 百済からの渡来人でユダヤの血を引く藤原北家流上杉氏、
高句麗からの渡来人でロシア系タタール人(韃靼人)の血を引く伊達氏、
任那4県のひとつ多利からの渡来人で多利思比孤の血を引く最上氏、
渡来人による東国の覇権争いは、徳川家康によって封じ込められ、
日本は統一国家としての体裁を整えたのです。
- 114 :日本@名無史さん:2012/04/01(日) 20:47:50.77
- やっぱ東日本独立というなら、伊達氏でも奥州藤原氏でもなく、平将門だよ。
そして独立は潜在的な同志である藤原秀郷を味方に引き込めるかどうかにかかっていた。
- 115 :日本@名無史さん:2012/05/06(日) 21:20:20.40
- 南関東というか、相武地方は基本的に弥生時代がミッシングリンクなんだよね(「弥生」の命名の由来はともかく)。
縄文時代から弥生をすっ飛ばして古墳時代がやって来た感じ。
基層住民は縄文‐古墳時代間でほぼ総入れ替えしていると言われる。
古墳時代以降は上層は諏訪経由の出雲族でも、基層住民は駿河菊川水系の人達による入植だろう。
あと渡来人たちも大いに絡んでるね。
- 116 :日本@名無史さん:2012/09/02(日) 16:06:31.21
- >>1
スレタイが理解不能なんだが。『関東の東西戦争』って、いつ
誰と誰が戦争をしたの?
関東の『関』って、不破関のことなの?
- 117 :日本@名無史さん:2012/09/07(金) 08:29:09.15
- >>14
- 118 :日本@名無史さん:2013/01/27(日) 01:00:27.73
- >>19
> 本当は中臣氏も、和珥氏や春日氏と同じ孝昭天皇・武振熊命を祖とする皇別氏族である可能性もなきにしもあらず。
> 皆おなじ春日神を氏神としているわけですし
春日神の元宮(の一つ)である常陸鹿島神宮の元の祭祀一族は多(おおの)氏です。
この多氏は神武天皇の皇子・神八井耳命の子孫とされる「仲津臣(なかつのおみ)」から出た氏族であるとされています。
更に、多氏から別れた一族に常陸「那珂国造」がおり、その那珂国造は同時に「那珂臣」「仲臣」そして「中臣」などとも称しました。
ナニワネコタケフルクマを祖とする和邇氏族(和邇氏、息長氏、小野氏、春日氏etc)と、上記の多氏族との関係も、
春日氏の本拠地である(ということは春日氏の祭場でもある)春日の地に鹿島神を勧請したということは、これら両氏族は元々母系継承による同族だからと見るのが自然でしょう。
- 119 :日本@名無史さん:2013/07/02(火) NY:AN:NY.AN
- 戦いが1日で決着っていうのはおかしい
決着を瞬間でとらえれば
どんな戦いだって1日で決着ついてるだろ?
- 120 :日本@名無史さん:2013/07/02(火) NY:AN:NY.AN
- 〜都道府県の居住意欲ランキング〜
1位は『 京都 』
「地域ブランド調査」(全国3万2124人から回答)によると、
47都道府県のうち、最も「住んでみたい」と思われている地域は京都府でした。
京都は、回答者のうち11.2%が「ぜひ住みたい」と答え、13.3%が「できればすみたい」と答えるなど、
ほぼ4人に1人といえる25.5%が居住意欲を示しています。
年代別にみると20代の居住意欲が最も高く、ほぼ4割である39.8%が居住意欲を示しています。
そこからさらに学生に絞ると、なんと半数を超える53.7%という結果となります。
つまり、学生など若い世代の居住意欲がかなり高いのです。
- 121 :日本@名無史さん:2013/07/04(木) NY:AN:NY.AN
- 同志社大、立命館大・・入ってみればわかるし、
京大生になって哲学の小道でも散歩すれば、そりゃあ愉快だろうよ。
- 122 :日本@名無史さん:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN
- 亀井静香が、天皇陛下に「京都か広島にお住まいに」と進言!
亀井静香金融担当相(当時)は天皇陛下と閣僚との昼食会の際に
「江戸城跡地にお住まいになるのは立場上ふさわしくないのではないか。京都か広島にお住まいになってはどうかと、陛下に申し上げた」と述べた。
陛下は返答は避けつつ「京都は好きです」と応じたことを明かした。
- 123 :日本@名無史さん:2013/07/07(日) NY:AN:NY.AN
- 天皇さんを困らせるとは不敬だな。
- 124 :日本@名無史さん:2013/12/15(日) 12:48:11.86
- 「関ヶ原の戦い」と「西南戦争」
http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0203/39/266_1.html
目的は全く同じだった。
薩摩の不満分子の始末を命じられた「島津義弘」は、
長年かけて不満分子を選別し、かわいがり、忠誠心を育てた。
同じく、西郷隆盛も不満分子を育てた。
そして、薩摩藩の外に引き出し、敵と申し合わせたとおり、
部隊を狭い一か所に集めて、敵に集中砲火を浴びさせた。
自分らは、目印の通り、現場を逃走。これで一件落着。
日本のいくさは、至る所、このような裏切り戦術にあふれていた。
( http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0103/38/265.html )
- 125 :日本@名無史さん:2014/06/15(日) 13:56:12.39
- >>1
次から次へと
トンデモ説を撒き散らすな。
- 126 :日本@名無史さん:2014/07/31(木) 08:30:55.30
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- 127 :日本@名無史さん:2014/11/23(日) 14:18:04.93
- >>21
>関東や東北造営は、ニニギに出雲国を譲った出雲系の人々の手で・・・・・・・・
とすると、東北地方にも出雲系神社が鎮座しておるはずだが、
現在の東北6県の各県の何々神社が、該当すると言われるのか?
東北地方南部に痕跡を遺すオホヒコ系阿部氏が出雲系氏族という
説なのですか?
- 128 :日本@名無史さん:2014/11/23(日) 15:01:11.79
- そもそもオホビコ命やタケヌナカワワケ命は、つまり安倍氏は、その系譜を素直に読むと和邇氏の一氏族だよね。
- 129 :日本@名無史さん:2014/11/26(水) 22:56:06.21
- 出雲系というか、三輪・賀茂系の大神神社は、下毛野では「たかお神社」、もしくは、「たかおかみ」として祀られている。
この神社は会津西街道、会津の縄文古墳である石生前遺跡(いしゅうまえいせき)に続く道沿いに見られる。
これが証拠だ。
栃木県以外のたかお神社
http://kyonsight.com/okami/takao/okamiallmap.jpg
- 130 :日本@名無史さん:2014/11/26(水) 23:08:37.99
- 宮城県加美郡の他、「かみ」とつく地名は、大神神社との関係がるのではないかと調べているところです。
- 131 :日本@名無史さん:2014/11/26(水) 23:10:20.19
- 三輪(大神)氏の三輪山麓での活動事跡というものは実は大変日が浅く、大神神社奉祭社家としての実績も古代(上古以前)においてはほとんどその痕跡が見られないというのは、学者・研究者の間では常識。
- 132 :日本@名無史さん:2015/05/02(土) 19:42:18.40
- 宣教師やキリシタン大名にとっての関ヶ原の戦い
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-377.html
前回の記事で、秀吉の死の半年後である1599年2月に、スペイン出身のペドロ・デ・ラ・クルス
がわが国におけるキリスト教の布教を成功させるために、日本を武力征服すべきであるとの
書翰をイエズス会総会長に送っていることを書いた。
フランスの日本史家のレオン・パジェスは1598-1599年の情勢をこう述べている。
「…家康は政治的の見地から、異国との通商をかち得んがために、決して(キリスト教に対して)
不愛想にはしなかった。政策や一般の取締りを変更したり、太閤様の遺命を蹂躙したことが
際立たないように、彼は、正式に認可を与えた訳ではないが、宗教上の事には故意に目をつぶった
。そこで京都の付近のキリシタンは、自由になったものと考えて、あるいは天主堂を復興したり、
あるいは公然儀式を行なった。」
キリスト教宣教師たちにとっては、関ヶ原の戦いで布教基盤の多くを失ってしまう可能性があった
のだが、キリシタン大名が東軍、西軍、中立派にうまく勢力が分れた上に、中立派を装っていた
有馬晴信と大村喜前が、同じキリシタン大名である小西行長の居城を、関ヶ原の戦いの直後に
攻撃したことが幸いして、結果として大きなダメージを受けずに済んだのである。
彼らは、天下分け目の戦いの後でも、九州地域におけるキリスト教が優勢な状況を維持する
ことができたのだが、このような彼らにとって望ましい状況が、多くのキリシタン大名がそれぞれ
の判断で行動した結果なのだとすると、少々出来過ぎた感がしないでもない。
- 133 :日本@名無史さん:2015/05/02(土) 23:48:18.27
- >>132
スレ違い
- 134 :日本@名無史さん:2015/05/03(日) 12:49:47.93
- 水戸市に見和と云う地名がある
御殿山
見和(ミワ)ー会神原ー高天原ー春日台
姫子(ヒメコ)
鹿島神社もあり鹿島(中臣)系の移住先の名残か?
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